エーリッヒ・フロムの生い立ちを追って

02/10/2021

A8バナー広告

エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)という人物を知っているだろうか?20世紀の精神分析家(Psychoanalytikerの直訳)である。

「愛するということ」という訳で日本語訳もされている。アドラー心理学を知った人が次にフロムの本を読んで見るということがよくあるようだ。「幸せになる勇気」がフロムを引用しているので、自然な流れとも言える。

この本で、フロムは「愛を持つことは技術である。運命ではない。」と言い切っている。技術なので、誰でも練習すればできるという話だ。もちろん、すべてのケースをそれで割り切るほど精神論を言うつもりはない。

このブログがフロムの論を端的に述べている。

とフロム

このフロムは、そもそもドイツ人である。ユダヤ系のドイツ人。人生の前半期をドイツで過ごし、後半をアメリカで過ごした。

アメリカで人生の後半を過ごしたのは、ナチスが政権を獲得したから。決して好みの問題ではない。

Frommの人生年表を簡単に見てみよう。

1934 Zusammen mit dem Institut für Sozialforschung emigriert er nach New York und eröffnet dort eine psychoanalytische Praxis.

1934 社会研究機関(のメンバー)と共にニューヨークに移民し、そこで精神分析の診療所を開く。

https://www.dhm.de/lemo/biografie/erich-fromm

ヒトラーが政権を獲得したのが1933年のこと。1934年のナチスは、表立ってユダヤ人迫害をしていたわけではない。ただし、たびたび演説でヒトラーがユダヤ人を敵視していたことは事実。

フロムは1934年にすでにアメリカに渡っているわけだから、危険察知が早かったと言えるだろう。

フロムとフランクフルト

フロムはフランクフルト人である。1900年にフロムはフランクフルトで産まれた。

年表によると、フロムは1918年までフランクフルトで過ごしていた。

1918 Nach dem Abitur studiert Fromm in Frankfurt/Main zwei Semester Jura.

https://www.dhm.de/lemo/biografie/erich-fromm

このあと、フロムはHeidelbergで社会学を学んでいる。

1919 In Heidelberg studiert er Soziologie, Psychologie und Philosophie und setzt seine Talmudstudien fort.

https://www.dhm.de/lemo/biografie/erich-fromm

その後、フロムはFrankfurt InstituteでMax Horkheimerと社会分析プロジェクトをする。このとき、フロムはフランクフルトに戻ってきている。Frankfurt Instituteが現在のどの大学にあたるのか?は不明。

1929 Mitbegründung des Süddeutschen Instituts für Psychoanalyse in Frankfurt/Main. Abschluss seiner Ausbildung am Psychoanalytischen Institut in Berlin.

https://www.dhm.de/lemo/biografie/erich-fromm

1934にアメリカに渡っているわけだから、このときは約4年の間、フロムはフランクフルトに住んでいたことになる。

フロムと共産主義

フロムというと、心理学者のイメージが強いが、彼の最初の学術的な興味は共産主義とユダヤ教の戒律から始まっている。

Fromm's interest in Marxism grew from the mid-1920s — in the period that Karl Korsch dubbed the “crisis of Marxism” — during which he studied at the Berlin Psychoanalytic Institute.

https://www.jacobinmag.com/2020/08/erich-fromm-frankfurt-school-marxism-weimar-germany

彼はユダヤ系であるから、ユダヤ教の戒律に興味を持つこと自体は、さほど不思議でもないだろう。共産主義への興味は、時代的な背景があるかもしれない。

1920年代のドイツといえば、第一次大戦直後で社会がぶっ壊れる寸前と言っても過言ではなかった。貧困者が増えれば、共産主義に解決策を見出したくなる気分をよく理解できる。

フロムが特に興味をもったのは「共産主義がドイツに定着しなかった理由」であった。フロムはこの理由を社会心理分析から説明できると考えていたようだ。

This group, like many others in Germany at the time, wanted to understand why socialism had thus far failed to materialize in Germany, even though it had a large working class and a highly organized labor movement. Influenced by the critique of “mechanical Marxism” that Georg Lukács and Karl Korsch had inaugurated, they tried to identify what might be called the “subjective” barriers to socialism. They believed that psychoanalysis could play a particularly important role in illuminating those barriers.

https://www.jacobinmag.com/2020/08/erich-fromm-frankfurt-school-marxism-weimar-germany

引用に出てくるsubjective barriersという言葉に注目してみる。

この記事は「愛するということ」 “The Art of Loving”について、こう述べている。

Fromm continued his analysis of the subjective barriers to a true humanistic socialism in The Art of Loving (1956), perhaps his best-known work.

https://www.jacobinmag.com/2020/08/erich-fromm-frankfurt-school-marxism-weimar-germany

つまり、subjective barriersの考え方を最初にもったきっかけが共産主義への興味であり、研究対象を変えた結果、「愛するということ」の考え方に到達したと言える。

では、なぜフロムは興味を共産主義から個人の人格へと範囲を変えたのだろうか?この記事は明確には書いていないものの、渡米がきっかけであることが伺える。

Fromm remained an important part of the institute's work for much of the 1930s. He was largely responsible for the relocation of the institute to the United States in response to the Nazi takeover, making personal contact with scholars at Columbia University, where the institute eventually settled. He was also pivotal to the institute's continuing research on authoritarianism, and he played a central role in the 1936 Studien über Autorität und Familie (Studies on Authority and the Family) — a one-thousand-page preliminary report that helped pave the way for the institute's more famous work on The Authoritarian Personality.

https://www.jacobinmag.com/2020/08/erich-fromm-frankfurt-school-marxism-weimar-germany

もしかすると、Columbia Universityがフロムに要求した研究テーマが家族の範囲だった可能性があるし、または、フロム自身が社会という広すぎる対象を考えるのに疲れてしまった可能性も考えられる。

いずれにせよ、共産主義への興味がきっかけでsubjective barriersの考え方を持ち、渡米にともなって研究対象の範囲を家族に変え、それから、subjective barriersを個人人格の範囲に当てはめてみた、という一連のストーリーを見ることができる。

フランクフルトのフロムの地を訪ねて

残念なことに、フランクフルトにはフロムに関する足跡がほとんど何も残っていない。

住所として、彼の名前が街に残っている。

最寄り駅はU5のWestendである。Westendはフランクフルトの中心街とGoete Universitätの中間にある。ある程度のビジネス街であり、ある程度の住宅街でもある、というそんな特徴を持っている。

駅を出てすぐのところには、Allilanzのオフィスを見ることができる。

少しだけ歩くとErich-Fromm-Platzと書かれた看板を見ることができる。

看板の下には Psychoanalytiker Als Jude vom NS – Regime verfolgt 「精神分析家。ユダヤ人としてNS(National Socialismの略。ドイツではヒトラー時代のことをこの言葉で表現する)から迫害を受けた」と説明がある。

フロムが住んでいたとされる住所は化粧サロンになっていた。特に何もフロムに関連することは残っていない。

気になることに、Erich-Fromm-Platzの場所は「フロムが住んでいたとされる場所」の横である。もしかすると、ぼくが調べた情報が間違っていたのかもしれない。本当はErich-Fromm-Platzの方が「フロムの家があった場所」かもしれない。

フロムに関する資料はどっちかというとTübingenに存在している。

“zahlreiche Dokumente wie handschriftliche Notizen, Manuskripte, Fotos sowie Ton- und Videobeiträge des Psychoanalytikers”(数々のフロムの資料、例えば手書きメモ、手書き原稿、写真)とWebページは書いている。