美しい国ニッポンの美しいビジネストラブル

02/10/2021

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語のタンデムパートナーと日本語能力試験の練習をしていた。

このビデオをアップロードしてる人、このの解説は、非常にわかりやすくて良い。

このビデオの3番目の質問をぼくはとても気になってしまった。

  • 取引先とがあって、相談したい -> わかる
  • 打ち合わせの予定変更を伝えあわせていて、取引先の課長さんが怒ってしまった -> わかる
  • 課長さんが担当者の顔を見たくないと言う -> ???????

「担当者の顔を見たくない」ってどういうこと?これがぼくにとって意味不明なポイントだった。

取引先だよね?友だちじゃないよね?それで、顔を見たくないほどに激怒ってどういうこと?担当者の女性と課長さんが不倫でもしてたの?、とも疑いたくなる。

そもそも、課長さんはかなり怒ってしまっている理由を説明していない。もしかしたら、予定変更の伝え忘れが重大な損失になってしまったのかもしれない。それなら、まずは損失の発生を告知するべきだ。

さらに「顔を見たくない」とは意味不明な要求である。もし、この要求が「担当者の女性は不適切と判断したので、担当者の変更を願う」や「担当者の上司が謝罪し、担当を変更すること」や「取引を中止する」などであれば、その要求は理解できる。

しかし仮に「顔を見たくない」と言われたら、一体なにをすれば良いのか?「はぁ、そうですか」しか言えない。何も具体的な要求をせずに、コミュニティーを遮断していることに等しい。または「担当者がどんな応対をしてくるのか試してやろう」という心理を見ることもできる。

こういう場面は、たしかに日本映画や日本ドラマで目にすることがある。取引先が激怒して、対応に困ることをしてくるというケースだ。日本語能力試験の題材になるのだから、日本社会では標準的に発生するとも言えるだろう。

ドイツではどうだろう?

さて、この疑問をタンデムパートナーに質問してみた。「この課長さんの反応って、感情的すぎると思う。ドイツ社会ではどうだろう?課長さんのような反応は取引先に対してあり得る?そして、そんな反応は受け入れられる?」と質問してみた。

タンデムパートナーは簡潔に「ない」と結論づけた。タンデムパートナーがそう結論づけたのは、こんな理由。

  • 課長の反応が感情的という解釈は、ドイツ社会では一般的な解釈だと思う。
  • 会社 対 会社のコミュニケーションで、感情的なネガティブ反応をする人間は「能力が欠如している」とドイツ社会はみなす。
  • なので、この課長のような応対は、受け入れられない。おそらく、この課長の上司に報告したら、この課長は降格処分になる。

ただし、タンデムパートナーは、次のように細かく教えてくれた。

  • 会社内・チーム内のコミュニケーションならば、これくらいの感情的な反応はドイツ社会でもよくある。特別なことではない。
  • ビジネスコミュニケーションでも、消費者に近いところではありえると思う。例えば、レストランの経営者が、材料供給会社の担当者を感情的に拒否することはありえると思う。

では、会社対会社のコミュニケーションで、激怒するようなことが起きた場合は、ドイツ社会ではどうするのだろうか?

回答は簡潔で「具体的な要求を出す」だった。具体的な要求にはいろんなバリエーションがある。謝罪を要求する・上司への交代を求める・補償金を要求する・弁護士に連絡させる etc.

要するにドイツ社会では、法人レベルのコミュニケーションのトラブルに感情を持ち込んではいけない。もちろん、トラブルの裏に感情があることは当たり前だが、具体的な要求を出さなければいけない。そうでなければ、ビジネスマンとして失格となってしまう。ということだ。

しかし、一方でタンデムパートナーは「日本ってそういう国なんじゃないの?お客様は神様でしょう(笑)」と笑われた。

課長はビジネスマンとして終わってるのか?

あくまでぼくの意見だが、今後の日本社会では徐々にこの課長みたいな人間は淘汰されていくことになるだろう。100年後くらいに。

この課長の要求を深く考えてみると、こうなる。具体的な要求を出さずに「顔を見たくない」と拒否だけをする。担当者はビジネスとして担当を続けなければいけない。担当者が困ることは自覚できる。つまり、課長は担当者をわざと困らせている(意識的・無意識的かは不明だけど)

こういう「わざと困らせる」対応できるのは、課長が「自分の方が立場が上。担当者は何も反撃できない。」と考えている心理とも言える。担当者が反撃できる余地があるならば、課長はあえて自分が不利になる行動はとらないだろう。

という心理を考えると、日本のビジネス社会が課長のような対応を許していると言える。確かにタンデムパートナーが言うとおり「お客様は神様」根性が生きているのだろう。ドイツ社会のように、自身の昇進に影響があるという意識があれば、こんな対応をする意味がない。

いままでの日本はそれでよかったかもしれない。しかし、もはや巨大企業も、巨額の損失を出す時代になった。巨大企業もリストラする時代になった。終身雇用は、もはや日本に存在しない。

そんなビジネス社会で、企業間の取引にあえてトラブルを起こすような人間は必要だろうか?つまり、この課長のような「あえて担当者を困らせる人間」は必要だろうか?いや、必要ないだろう。ぼくがこの課長の上司なら、むしろこの課長を取引の担当から外す。

自身の行動がすべて評価対象になっている、という意識を持つようになれば、100年後くらいには日本のビジネス環境もまともになるのではないだろうか。その頃には日本は過去の遺産になっている気がするけど。


ドイツ社会がすばらしいと言いたいわけではない。ドイツ社会でも「内弁慶」のごとくチーム内・会社内には部下に当たり散らす人間はいる、とタンデムパートナーは教えてくれた。ドイツ企業の人事の今後の課題なんだろうな、そんなことを思った。