5/11 人の話がうまく理解できない
目次
こんなことを書くよ
- 発言意図が不明な人と発言意図が明確な意図がいる。ぼくの見ている世界では。
- 発言意図が不明な人は、どうして「意図不明」なんだろう?と考えてみた。
そもそも、どうしてこんなことを思ったか?
久しぶりにビジネス以外で日本人と日本語の会話した。2週間ぶりだと思う。ビデオチャットを通してだけれど。
昔にぼくは出入りしていたグループで、いまでもこうして付き合いがある。ありがたいことだ。(中には会ったことない人もいるけど)
そして「最近、どうしてる?」という話してる時に、ぼくはふと感じた。
「あれ?この人の発言の意図がわからない。この人は何が言いたいんだ?」
「最近、どうしてる?」の会話に、意図もクソもあるか!と感じる人もいるかもしれない。
どう表現すればいいだろうか・・・。
発言者の情報は伝わってくる。しかし、「伝えたいのか、感情を表現したいのか、相談したいのか、なんなのか・・・」ということをぼくは理解できない。情報が流れていくだけ。
ぼくの頭が停止している日かとも思った。しかし、グループチャットの人のうち、3人の発言意図は明瞭に理解できる。
そこで、何が違うんだろう?と少し観察してみた。
情報の意図を宣言しないし、感情もない
意図が明瞭に理解できる3人の発言を聞いていると、意図が理解できない3人と比べ、次のいずれかの特徴が見えた。
- 発言の目的を宣言している。
- 感情表現が発言に豊かに含まれている。
もう少し、細かく砕いて分析していく。
発言の目的を宣言している
意図が明瞭に理解できる人はこんな風に前置きをしている。
みんなに役たちそうな情報があるから、共有したいんだ。
一方で、意図が不明瞭な人はこうだ。
最近、~をしていてね。ちょっと、画面共有してもいい?ほら、ここってこんな感じになってるでしょ。実はね(以下、続く)
なんとなく「何かを見せたい」というのは伝わってくる。
でも、ぼくには、発言者がその情報を「どうしたいのか?」を理解できない。
ぼくたちに役に立つと思ったから伝えたいのか?相談したいのか?それとも、面白いと思ったことを伝えたいのか?
ぼくは頭の中で、必死に発言者の意図を探ってみる。
でも、発言者の口からは情報が連なって出てくるだけで、発言意図がわからない。。。
断っておくが、ぼくは発言者の話を聞きたくないわけではない。「意図がわからなくて困った」という話だ。
感情表現もない
何もすべての発言に「発言の目的が宣言」できるわけではない。
ビジネス会話をしているのでもないから、これは当たり前のことだと思う。
でも、ここでも、発言意図が明瞭な人と、不明瞭な人には差があった。
発言意図が明瞭な人はこうだ。
最近さ、面白いことがあったんだよ。~でね。ぼくは「へ~そんなこともあるんだな」って感心したんだ。
一方で、発言意図が不明瞭な人はこうだ。
最近、~ってことをしてね。ぼくは~して、~なんだけど~(以下、続く)
ちなみに、発言意図が不明瞭な人は話が長い傾向がある気がする。ただの気のせいかも。
感情表現があると、ぼくの脳は「ああ。そっか。この発言者の人は、ある体験に対して、そういう感情を抱くのか。それは面白いな」と感じる。
一方で、感情表現がないと、頭の中に情報が入ってくるだけ。
どうやら、ぼくは発言者の情報そのものよりも、感情に興味を抱いているらしい。
だから、ぶっちゃけ発言者の情報は大切ではないのかもしれない。
むしろ「情報の結果、発言者が何を感じたのか?」が大切と解釈しているようだ。
もしかすると日本語以外でも同じか?
以前の記事で「Aくんの話はよくわからない」と書いた。
振り返ってみると、Aくんの発言は「意図の宣言もないし」、「感情表現もない」。
彼の口からは「コロナウィルスの死者数が大きい」だの、「世界経済が良くない」だの、情報しか出こない。
Aくんがそれを「どのように解釈しているのか?どう感じているのか?」が欠落している。
一方で、同じドイツ語でも、ここ数日で話をしたドイツ人との会話はこうだった。
ずっと外出できなくて退屈だからさ、スター・ウォーズ作品をぜんぶ見直してたんだ。やっぱ、ジョージ・ルーカスの6部作はワクワクするね。
後の3部作は、なんだか、飽きちゃう感じだな。
あ、スピンオフ作品は楽しかったよ。ローグワンは戦争映画な雰囲気で、またスター・ウォーズと違った雰囲気で楽しめたね。
彼の話してくれたことは、すんなりと理解できたし、記憶にもはっきり残っている。
(外国人向けにやさしくしゃべってくれた説はあるけど)
もしかすると、Aくんと彼の発言の違いは感情表現にあるのかもしれない。
ぼくの人生を振り返ってみると
ぼくの育った環境では、会話に感情表現が乏しい人が多かった気がする。
特に思い返すと、小学校から中学ころまでは「会話全体の意味がよくわからない」とよく感じていた記憶がある。
大学あたりから「これが普通なのかな?」と感じ始めて、気にもしなくなっていた。大学時代のそれくらいに「発言意図不明」の人がぼくの周りには多かった。
社会人になっても、あまり変わらなかった。
違ったのは、ビジネス会話では発言者の発言意図がいくぶんか推測しやすかったことくらいだ。なにせ、トピックは限られている。
いや、、、社会が悪いのではない。単にぼくが理解できていなかっただけなのだ。
つまり・・・振り返ってみると、ぼくはほとんど会話の意図を理解せず生きてきたのだろうか?
実は最近、自分の半生を振り返る作業をしてみた。結果、かなりアスペと発達障害が疑わしい半生だった。
こうして書いていると、腑に落ちた気がして安心感すら感じる。
自分を振り返ってみると?
それなら、アスペっぽくて発達障害っぽい、ぼくはどうやってコミュニケーションをするといいんだろう?
簡単なことだ。次のことを意識したらいい。
- 発言意図を明確に宣言する。質問したい。相談したい。 etc.
- 単に「伝えたい会話」ならば、感情表現を豊かに入れてみる。伝えたいことは情報ではなくて、感情である、と強調するくらいの意識で良い。
自省してみると、ドイツ語での会話中では意識せずともできている。おそらく、ぼくの語彙数は限られてるから、少ない語彙数で明確に意思を伝えるための戦略なのだろう。
英語では半々くらいだろうか。ぼくの英語はビジネス英語に特化してしまっているので、感情表現が豊かではない。これは努力項目だ。
日本語では・・・少なくとも意識したらできた。ビデオチャットで、ぼくが話す時に2つのことを意識してみた。なんだ、できるじゃん。
聞き手にどれほど伝わったのか?とわからない。少なくとも、ぼくは自分が言いたいことを、きれいに整理して伝えられたと思う。いまはこれでいいだろう。

どうでも良いが
WordPressプラグインの会話吹き出しプラグインを入れてみた。
会話形式が明瞭に示せるようになったと感じる。嬉しいことだ。
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